「笑う門には福来る」とよくいわれている。いつも笑いが絶えない家には幸福がやってくる。いつも明るく朗らかでいれば幸福がやってくる。さらには、悲しいことや苦しい辛いことがあっても希望を失わず明るく生きていれば幸が訪れるという意味だ(門は家のこと)。
今日、1月11日は「鏡開き」。鏡開きとは、お正月に年神様の依り代として飾っておいた鏡餅を下げていただく儀式のこと。年神様の宿る鏡に見立てた餅を開くことで年神様をお見送し、さらにお餅を食べることで年神様の恩恵を体内に取込み、幸福を求め無病息災を願うもの。いうまでもなく、鏡開きは、福を迎える行事。
しかしながら、わたしたち、誰もがいつも福をよび寄せようと努力をしていながらも、それを阻害するのが、「デマ」。今回の能登半島地震においてもみられている。デマ拡散という風潮は昨日今日出来上がったものでないことは皆々が知っているのも事実だ。
デマに惑わされず、生きるには人間力の向上が求められる。よい人との出会いは自分のポテンシャルや人間的成長を引き上げてくれる。大きな視野にたった現実的な話、そこにはみな共通して根本原理すなはち道理がある。思いは見えないけれど、思いやりは誰でも見える。しかし思いは、思い込みという壁がいつも立ちはだかる。思い込みの壁をどう崩したら良いのか。そのた
めには、日々の生活に強い目的意識が求められてくる。
このようなことを鏡開きの日にちなみ、お笑(和尚)の雑感とした綴ってみた。
合掌
*鏡開きでは刃物は使用しない。これは、神様の依り代であった御餅に刃物を向けるのは縁起でもないといった理由から鏡開きではお餅を「切る」「割る」とはいわずに、「開く」という表現が使われるようになった。お正月は、年神様をお迎えする行事であり、年神様がいられる1月7日までを「松の内」といい、鏡開きは「松の内」が明けた1月11日に行なうのが一般的。関西地方等では「松の内」を15日とする地域もある。
次回からは数回にわたり、行政書士眞砂優希先生の生活お役立てコラム「エンディングノートは何もお金だけの話だけではありません」「終活トラブルとは」「終活の第一歩に必要な事について」などをアップしていきます。
眞砂先生は、新進気鋭の第一人者で、(一社)認定終活ガイド、(社)日本仏教文化研究所理事(僧籍あり)等も務め、宗教法人、まちづくり地域創成、叙勲一般推薦などに卓越した行政書士です。