人口動態調査(厚生労働省)によると、月別死亡率は1月がもっとも多く次いで12月、2月となっています。当然ながらこの時期、みなさまのお近くの寺院やセレモニーホール、葬儀場から読経が聞こえてくることもおありかと思います。
ところで医者から投薬を受ける際、どんな成分が入っているのか、どんな効用の薬なのかなどをいちいち調べつくしてから服用するという人は殆どいないでしょう。同様に読経を耳にしてどんなお経なのか、なにを唱えてくれるのかを丹念に調べてから読経をお願いするということはまずないのではないでしょうか。一口に仏教といっても宗門宗派によってお経は様々です。このようなお経を聞いて会葬者・臨席者は、こころにとどいているのでしょうか。かつて、ある大寺院の門前に、『このこえはいのちにとどく』と書かれたおおきな垂幕が掲げられていました。たしかに、仏教すなはちお釈迦様の教えは一宗一派に囚われることのない普遍のものであるはずだからしてどのようなお経を称えてもかわらないものなのかもしれません。
それでは、お経を唱える僧侶とは何なんでしょうか。いうまでもなく僧侶とは、一般的に、一宗一派の教えを真摯にとりくみ、仏道を学びつづけ実生活のなかにその教えを生かし仏法を深めていく生き方をする者ではないでしょうか。
仏を堅く信じ、社会のためによく生きようと努め、また人々の心の拠りどころとなる、そして、云うならばあの世とこの世の橋渡しをするのが僧侶なのです。ここで僧侶は、「僧侶を仕事にするか」、「僧侶として生きるか」という二つの選択のうちどちらをとるかによって僧侶自身の在りかたも大きくかわってきます。あらためて問うことは、僧侶として、いつも誰かのために生きているということを常におもい、死ぬまで修行をしていく僧侶の専門性とはなにかです。
この世は実にフレキシブルなのです。僧侶の仕事といえば葬儀において読経することがメインだと思われていますが本来はお亡くなりになった方々のためだけでなくいま、生きている人、いま社会で活躍している人、その人たちによりよく寄り添うことこそが大切な仕事なのではないでしょうか。
かつて、お寺は檀家信徒門徒をはじめ地域社会へ対して、ひろくさまざまな人生相談や人生問題にたずさわり仏法の教えに基づいて解決を試みてきたかと思われます。
ところが戦後、米国からカウンセリングが導入されるとともにお悩み相談・人生相談等は専門的カウンセラーが携わるようになったこと、いま、心の専門家を目指す資格が増えたこと、社会がこころの健康の重要性を重視するようになったこと、ストレス社会がますます高まったこと、こころのケアを求める人々が急増したこと、DX化の進展する社会のなかでリアルなつながりや心の対話を求める人々が増加したことなど結局、僧侶の仕事は葬儀に限定されるようになったといえるのではないでしょうか。また、それに倍加して檀家制度の崩壊、テレビCMでも有名なコンテンシャルの台頭は寺院及び僧侶の在りかたやマインドにおおきな変化をもたらしたといえるでしょう。僧侶も人生の、人間の伸びしろにかけてどんな小さなことでもいずれ新しい広がりにつながるチャンスになるかもしれないという期待を胸にいつも誰かのために生きているということを常に忘れずに、死ぬまで修行をしていく、この地球のあらゆるもののいのちを大切にしたいと思いつづけることの僧侶のこえこそがわたくしたちのこころに届くはずなのです。